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デジタルで読む福澤諭吉




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タイトル 福翁自傳
別タイトル Autobiography of Fukuzawa Yukichi
福翁自伝
著者 福澤, 諭吉 (Author)
矢野, 由次郎 (Transcriber)
出版地 東京
出版者 時事新報社
出版年 1899 (明治32)
識別番号 福澤関係文書(マイクロフィルム版)分類: F7 A52
請求記号: 福 52-1 著作

[解説]

福沢の生涯の閲歴を語ったもので、自伝文学の最高傑作の一つとして世に定評がある。明治三十年の十一月ごろから書き始められ三十一年五月十一日に脱稿したものと思われる。福沢はみずからこれを口述して、速記者矢野由次郎に速記させ、一席およそ四時間ぐらいを一区切りにし、速記者がこれを翻訳浄書して提出すると、福沢は自身で丁寧に訂正加筆し、さらに次の一節に移り、月四回ずつ口述して、約半年ぐらいで終了したもののようである。福沢の訂正加筆ほ極わめて綿密で、多くの部分は全く書き改められ、または新たに書き加えられている。この書は福沢の著作中ほとんど唯一の口語体の著作であるが、この口語文の妙味は福沢の話術の巧みさによるか、文章の筆力によるかということが、研究家の問で疑問とされていたが、その速記原稿への加筆の跡を見ると、口語文の記述に於ても福沢が非凡の力倆を有していることが立証されたといってよい。
 時事新報には明治三十一年七月一日から翌三十二年二月十六日まで六十七回に亘って連載された。この連載の中途で福沢は明治三十一年九月二十六日の午後、脳溢血の大患に罹り、その後は再びみづから筆を執ることは叶わなくなったが、この自伝は滞りなく最後まで発表された。福沢はこの自伝に限らずいかなる長編でも必ず全編脱稿の上でなければ新聞に掲載しないのが常であった。しかし、本書の巻頭に掲げた石河幹明の序文に記されている通り、「更らに自から筆を執て其遺漏を補ひ、又後人の参考の為めにとて、幕政の当時親しく見聞したる事実に拠り、我国開国の次第より幕末外交の始末を記述して別に一編と為し、自伝の後に付する計画」は、遂に実現することが出来ずに終った。
 新聞に連載が完了してから約四ケ月の後、明治三十二年六月十五目単行本として時事新報社から発売された。単行本は、白の洋紙を表紙とし「明治三十二年六月/福翁自伝 全/時事新報社発行」の三行の文字を飾り罫で囲い、口絵に「最近之撮影」と題する紋付羽織姿で椅子によった著者の半身像写真と「福翁百話二十一夫一婦偕老同穴」の原稿全文横長の写真を四つに折り畳んだものとがつけてある。いづれもコロタイプ印刷である。石河幹明の序文二頁、目次二頁、本文五百四十九頁、奥附一頁、広告五頁である。奥附には明治三十二年六月十一日印刷、明治三十二年六月十五日発行、定価金四十銭、編輯兼発行者として時事新報社の所在地社名が掲げられ、その代表者として吉田東洋の名が住所と共に記されている。印刷所はジャパンタイムス社、発行所は時事新報社である。広告には「福沢全集」「福翁百話」「修業立志篇」「福沢全集緒言」「時事新報」の宣伝文が載っている。
 再版には表紙の右肩の文字が「明治三十二年八月再版」と改まっているほか、すべて初版と同じ体裁で、三版以後もこれに傚い、福沢の生前に八版を重ねた。
 「福翁自伝」には別に定価壱円の上製本がある。本文洋紙は普及版とほぼ同質のやや斤量の多い厚い紙が用いられ、背皮クロース装で、背に金文字で書名と発行所名とが打ち込んである。奥付も普及版と同一の体裁であるが、印刷発行の日附が普及版と異なり、明治三十二年七月二十九日発行、明治三十二年七月三十日印刷と竝記してある。この発行日と印刷日とが逆になっているのは、恐らく校正の粗漏で組み違えたものであろう。真の初版は前記の通り六月十五日の発行であるから、これは上製本の初版と見なくてはならない。この形の上製本もたびたび版を重ねたもののようである。
 福沢の歿後も、時により装偵や口絵に異なるものが見られるが、本文内容は全く同一の体裁で、時事新報社から数十版を重ねて出版せられた。


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