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各巻の解説



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タイトル 雷銃操法. 一
別タイトル Rifle instruction book
著者 福澤, 諭吉 (Translator)
出版地 東京
出版者 福澤氏蔵版
出版年 1867 (慶応3)
識別番号 福澤関係文書(マイクロフィルム版)分類: F7 A03-01
請求記号: 福 3-1 著作

[解説]

長州征伐で幕軍が長州勢に散々の敗北を蒙ったのは、イギリスから仕入れたライフルの威力の前に、幕軍の旧式の鉄砲が物の役に立たなかったからだと聞いて、福沢はこの新鋭の武器のことを知りたいと思っていたところ、偶然芝口の和泉屋善兵衛という書肆に古本を探しに立ち寄ったとき、一冊の洋書を示され、これは何の本かと尋ねられた。見るとライフルのことが書いてあるので、得たりとばかり、言うがままの価で買い取って来た。ところが福沢はそれまでライフルなどは見たこともなく、また鉄砲を手にしたこともないので、夫人の実弟土岐謙之助が江川太郎左衛門の門弟であったのを幸いに、鉄砲を持参させ、福沢は原書を見ながら差図して分解させ、次に元の通りに組立てさせたところ、土岐少年は大に驚き、これまで江川の塾でもこんなことは夢にも知らなかったと感嘆してやまないので、そこで早速翻訳に着手して成ったのが「雷銃操法」であるという。
 この書は木版三冊本。一八× 一二・五cmの小型本で、網目模様の地紋の濃藍色表紙。左肩に子持罫の枠の中に「雷銃操法一(二、三)」と記した題箋を貼ってある。見返しは黄色和紙、太枠の中を縦三ツ割に区切り、右側に「千八百六十四年第十二月 英国開彫」、中央に「英語ライフル/蘭語ミニーゲウェール」と角書きした下に「雷銃操法」と大書し、左側に「福沢氏蔵版」と記し、これに冠せて「Copyright of 福沢氏」と彫った長方形朱印が押捺してある。巻之二と巻之三との見返しは、右の「千八百六十四年第十二月」の文字を「千八百六十七年第二月」と改めてあり、巻之二の見返しに限り、右下隅に「二編」と彫った楕円形朱印が押してある。そのほかは巻之一の見返しと同様である。
 巻之一は目録二丁、訳例二丁、本文四十六丁、丁数は目録一から起して五〇丁まで通しである。挿入附図三枚、ウラ表紙の内側に「慶応三年丁卯暮春/東都書林/ 和泉屋善兵衛発兌」と記した奥附が貼ってある。
 巻之二は題言一丁、目録一丁、本文は一より起して五十二丁、挿入附図二面、奥附は右に同じ。
 巻之三は題言一丁、目録一丁、本文は一より起して三十八丁、奥附は「明治二年己巳十二月/ 官許/ 禁偽版 慶応義塾蔵版」と記して、ウラ表紙の見返しに貼ってある。
 この書は一冊ずつ別々に発売されたようで、刊行の年月を正確につきとめることがむずかしい。巻之一の訳例の末尾に「慶応二年丙寅九月」と記してあり、奥附の刊記には「慶応三年丁卯暮春」とある。二年九月に脱稿して三年三月に出版されたと、一応は見られるが、慶応二年十二月七日付と見られる隈川宗悦宛福沢書翰に、製本のできたばかりの「西洋事情」三巻(初編) と共に「雷銃操法」を隈川に渡していることが記されているから、巻之一は二年十二月の初めには既に発売されていたと見て差支えない。刊記の「慶応三年丁卯暮春」はアテにならないのである。
 巻之二にも問題はある。この本は題言に年月の記入がなく、奥附の刊記は巻之一そのまま「慶応三年丁卯暮春」とある。一見すると巻之一と巻之二とが同時に揃って発売されたかのように受け取れる。ところが題言に「此書巻之一は千八百六十四年英国開版の原本を訳したるものなれども、其後千八百六十七年の新本を得たるに付、則ち此第二巻は新本の翻訳なり。故に書中の箇条、初巻の目録と齟齬する所あれども云々」と記してある通り、巻之一とはオリジナル・テクストを異にしている。一八六七年は慶応三年である。その年の二月は、わが国の暦の一月に当り、慶応三年三月は陽暦の四月にほぼ相当する。イギリスで二月に出版された新版が、海を渡って福沢の手に入り翻訳されて出版されるまで僅かにニカ月というのは、余りに早すぎる。「西洋事情」外編は慶応三年季冬刊と称して実際は翌年夏に発売されたと推定されるが、その巻末に載っている慶応義塾蔵梓目録には、慶応三年季冬刊の「西洋衣食住」は掲載されているが、それより前の暮春刊と称する「雷銃操法」は載っていない。更に巻之一と巻之二との奥附の刊記をしらべてみると、これは全く同一の版木を使って刷られたもので、両者の間にいささかの違いもない。つまり巻之二の奥附は、その発兌の際に、便宜的に巻之一の奥附をそのまま刷ってつけたものと察せられる。しからば、巻之二は実際にいつ発売せられたのかというと、もちろん正確に断定することはできないが、右の「西洋事情」外編の刊行よりも後、すなわち明治元年の夏以降のことと推定してほぼ誤りがないのではなかろうか。
 巻之三は、題言の末尾に「明治二年己巳初冬」とあり、奥附に「明治二年己巳十二月官許」とあるところから推定すれば、十月脱稿、十二月出版許可という手順を経て、明治三年の春か夏の頃に発兌せられたものと思われる。
 明治三年十月刊の「西洋事情」二編の巻末に附した慶応義塾蔵版目録に、初めて「雷銃操法」の書名が掲げられ、次のように記してある。
 雷銃操法 初篇 一冊 此書も偽版の噂あり他の例に従へば実説ならん
 同 二篇 一冊 勿論右同様なり
 同 三篇 一冊
 これによれば偽版が刊行されていたようであるが、われわれはまだその偽版の実物を見ていない。往々にして「Copyright of 福沢氏」の捺印のない版本も見受けるが、今日までわれわれの見ている限りでは、単なる捺印もれで、いずれも真版と思われる。
 明治時代に威力を発揮した村田銃の創始者村田経芳少将は、この書の刊行当時福沢を訪ねて書中の不審を質問し、福沢から自分は英書を翻訳しただけで実地の細かいことはわからないと答えられ、イギリス公使館附の武官に就いて更に研究を重ね、書中の翻訳の確かなことを福沢に語り、射撃術普及のために賭を許すごとなどを語り合ったことがあったという。
 明治十七年に砲兵工廠へ福沢を招待して、村田から先年の礼を申し述べたところ、福沢はそのことを忘れていたということである。


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