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デジタルで読む福澤諭吉




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タイトル 會議辯
別タイトル How to hold a conference
会議弁
著者 福澤, 諭吉 (Author)
小幡, 篤次郎 (Author)
小泉, 信吉 (Author)
出版地  
出版者  
出版年 1874 (明治7)
識別番号 福澤関係文書(マイクロフィルム版)分類: F7 A22
請求記号: 福 22-1 著作

[解説]

木版小型(一八・五× 一二・五㎝) 一冊本。茶色の和紙を表紙とし左上隅に題箋を貼る。題箋は太罫の枠の中に「会議弁 福沢諭吉/小幡篤次郎/小泉信吉/合著 完」と記す、見返しはなく、本文十七丁。それに三田演説会之序、憲法、式日を合せて十丁。奥附も刊記もない。
 この書の題名は原本には「会議辯」と記してあって、「会議辨」ではない。内容は会議のやり方を説明したものであるから、「辨」の字を使用するのが妥当であると思はれるが、題箋にも内題にもすべて「辯」の字を使っている、意あって特にこの字を使ったのか、版下書家の誤記によるものか、その辺は明らかでない。
 次に本書には刊記がないので刊行の年月を明確にすることができない。従来この書は明治六年刊と見られていたが、それは全集緒言の記事に拠ったもので、「明治六年春夏の頃と覚ゆ、社友小泉信吉氏が英版原書の小冊子を携えて拙宅に来り(中賂) この冊子はスピーチュの大概を記したるものなり、此新法を日本国中に知らせては如何との話に(中略)然らば兎に角に其大意を翻訳せんとて、数日中に抄訳成りしものは即ち会議弁なり」とある所から、明治六年刊と思われていたのであるが、仔細に本文を見ると、「明治七年九月六日」という目附が集会の一例として挙げ一例として挙げてある。著書の中へ例を挙げるときには、その箸作の年を記すのが心理的には普通であると思われるのに、明治六年刊の著作の中に明治七年の例を設定したのは何故であるか、或はこの書は明治七年刊なのではないかとの疑問を起したのは、久しく福沢諭吉を研究している甲南大学教授伊藤正雄氏である。
 この疑問を明確に解決する資料は今のところ何もない。しかし、この書の巻末には三田演説会規則が附録として付いている。三田演説会が発会したのは明治七年六月二十七日のことで、この時はまだ規則の印刷物ができていないで、草稿を会員に分ち、会員一同その草稿に自筆の姓名花判を記したとの記録がある。それならばこの規則が印刷に附されたのは明治七年六月二十七日以後のことと見なければならない。「会議弁」の版本を見ると、本文とこの附録の三田演説会規則とは別々に版を起して、刷り本を合綴したもののように思われる。三田演説会は発会までに約一年ちかくの練習期間があったと伝えられているから、小泉信吉の齎した原書を福沢が翻訳したのは、明治六年であったにしても、この「会議弁」が一冊の単行本として刊行発売されたのは、明治七年になってからの公算がすこぶる大きい、ここに特に伊藤氏の疑問を掲げて後考に埃つ。


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